朝日広告賞受賞者の、受賞の頃のエピソードから現在の活躍までを紹介する『Now&Then』。第6回は、1986年度 第35回 朝日広告賞でグランプリを受賞した、写真家・映画監督の大山千賀子さん。20代で単身イギリスに渡り、写真家としての道を切り開いた。VOGUEをはじめ国内外のファッション雑誌で活躍し、レナウンや資生堂、トヨタなど大手企業の広告写真も数多く手がけてきた。現在は、日本とイギリスを行き来しながら映画監督としても活動している。
朝日広告賞に応募したのは、電通のクリエーティブディレクター(当時)の沼澤忍さんから「資生堂の企業文化誌『花椿』に掲載されていた犬の写真を朝日広告賞に応募する作品のビジュアルとして使用したい」と声をかけてもらったのがきっかけです。
犬の写真は、『花椿』のアートディレクターをしていた仲條正義さんから「犬の写真を撮ろう」と声をかけられ撮影したものでした。そのときの撮影のテーマは、たしか「犬の個性を出して人間風に撮る」というような内容だったと思います。『花椿』に掲載しなかった未発表の犬の写真がいくつかあったので、沼澤さんにはその中から選んでいただきました。
それがグランプリを受賞したことは、ロサンゼルスで撮影しているときに知りました。授賞式に参加したとき自分の名前が呼ばれ、胸が熱くなったのを覚えています。朝日広告賞を受賞したことは、私にとっては通過点。写真家として活動してきた証しの一つです。賞金は沼澤さんとアートディレクションを担当した大蔵泰平さんと3人で分けて、私は30万円いただきました。沼澤さんのおかげで受賞できたので、私の賞金はお祝いの飲み会で全額使ってしまいました。
海外に初めて行ったのは、20歳のとき。40日間かけて1人旅をしました。神戸から船に乗ってロシアのナホトカに渡り、そこから飛行機や電車などを乗り継ぎフィンランドからフランス、イギリスにも行きました。今から45年以上前のことで、海外への憧れが強かった時代です。私は子供の頃から好奇心が旺盛で、とにかく自分の目で見てみたかった。だから海外に1人で行くことに何のためらいもなく、全然怖くありませんでした。
1人旅をして「ロンドンに住みたい」という思いが芽生えました。ロンドンは、好きなことを言って、笑われることはあっても嫌われないと感じたからです。そんな自由なところが気に入りました。それで40日間の旅行の後、今度はイギリスで半年間暮らしてみることにしました。そのときは、自分がイギリスで写真家として活動するようになるなんて思ってもいませんでした。
イギリスではバレエ教室に通い、バレエダンサー募集の貼り紙を見てオーディションを受けました。オーディションに受かりモデルエージェンシーを紹介してもらい、モデルの仕事も始めました。日本でもモデルのアルバイトをしていたので、撮影されることには慣れていたんです。ヨーロッパで展開する日本航空の広告のモデルにも抜擢され、撮影しているカメラマンの写真事務所でも雑用のアルバイトをするようになりました。それが私と写真の出合いです。
写真事務所には、モデルが毎日のように自分の写真を見せに来ていました。そのうちモデルとも仲良くなり、ヘアメークの友だちと一緒にテストシューティング(試し撮り)をするようになったんです。それが、ものすごく楽しかった。みんなで一つの作品を作り上げる楽しさに目覚めました。写真は独学ですが、難しいと思ったことはありません。撮りながら自然と覚えました。
作品ができたら、イギリスの出版社や新聞社に売り込みに行きました。まず電話して、会う日を決めます。約束の日に作品を持っていくと、また何カ月後に見せに来なさいと言われる。その日を楽しみに、テストシューティングを繰り返す。何度もダメ出しされましたが、あくまでも意見であって否定じゃない。私のために言ってくれているとポジティブに捉えていたので、めげることもなかった。むしろ、考えるチャンスをもらったと喜んでいたくらいです。作品は改善され、どんどん良くなっていきました。
仕事をもらえるまで1年くらいかかりました。初めて仕事を依頼されたときは飛び上がるほどうれしかった。「VOGUE」、「Daily News」などイギリスのメディアで仕事をさせていただき、それからとんとん拍子で広告の仕事などにも広がっていきました。70年代の英国で10代の女性から高い支持を得ていた月刊誌「19」のために撮影した表紙の写真は、今でもとても気に入っている作品のひとつです。日本の雑誌でも仕事がしてみたかったので、当時、『流行通信』のアートディレクターを務めていた長友啓典さんの事務所に「良かったら使ってください」という手紙を入れてポジを送ってみました。そうしたら流行通信社から連絡があり、イギリスにいるアーティストのインタビューや撮影の仕事を頼まれるようになりました。
日本の広告業界で仕事をするようになったのは、雑誌『コマーシャルフォト』に作品が掲載されたのがきっかけです。当時の編集長にお会いする機会があり、作品を見ていただきました。プロフィルと作品を送ってほしいと言われたので、その通りにしたら、数カ月後に特集してくれたのです。表紙にも写真を使ってくれていて驚きました。すると、今まで手がけたことがない大きなクライアントから広告の仕事を依頼されるようになったのです。渡航費が100万円かかるような時代でしたが、東京とロンドンを行ったり来たりしながら広告の仕事をしていました。今もその生活スタイルは変わりません。
イギリスと日本の違いの一つは「与えすぎず、自分で考えさせる」ことだと思っています。例えば、イギリスでクルマの運転免許を取得したのですが、最初に教わるのは万が一のときのブレーキのかけ方。教官が「エマージェンシーストップ!」と言ったら、すぐにブレーキを踏む。エンジンが止まってもいいんです。日本の教習所だとS字クランクとか車庫入れとか技術を手取り足取り教えてくれますよね。それがダメなわけではありませんが、私にはイギリス流のほうが合っているんです。
もともと映画が好きで、写真も「映画の一コマ」のように撮りたいと思っていました。動きのある構図は、新聞などのドキュメントの写真を参考にすることもありました。新聞社の史料室に行って、ニュースとして掲載されている写真をチェックして、目に留まった構図をメモしておくんです。それをモデルで復元する、という練習をしていました。そうやって撮影しているうちに、自分でも物語が作れるようになったんです。次第にオリジナルの映像作品を撮るようになっていきました。
これまで短編映画を3本撮り、最近は長編映画「Suicide Love」を自費で完成させました。これからも映画を撮っていきたい。私の好奇心がなくなることなんて、きっとないと思います。
デジタルカメラは、人間の目で見えたものをそのまま写します。その一方で、フィルムは、見たままは写らない。目には見えるけれど、写真には写らない部分がある。要するに、フィルムはウソがつけるんです。そのウソをどうやってアートにするかを考えることがだいご味のひとつ。ポイントは露出です。フィルムで露出が読めるようになると写真は上達しますよ。
私にとって朝日広告賞は、通過点。写真家として活動してきた証しの一つです。写真を撮ることを楽しみ、前向きに仕事をしてきました。朝日広告賞の応募も、多くの人と出会い、人とのつながりから得ることができたチャンスでした。とてもラッキーだったと思っています。
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