朝日広告賞受賞者の、受賞の頃のエピソードから現在の活躍までを紹介する『Now&Then』。第4回は、1994年度 第43回 朝日広告賞で準グランプリを獲得した、映像ディレクターの牧鉄馬さん。ミュージックビデオをはじめ、「キユーピーマヨネーズ」、「アヲハタ55ジャム」(キユーピー)、「負けるもんか。」(ホンダ)などのテレビコマーシャルのほか、「2020東京オリンピック・パラリンピック招致」の最終プレゼンテーション用の映像も手がけた。見る人の心を静かに揺さぶる数々の映像を生み出している。
朝日広告賞に応募しようと思ったのは、アートディレクターの中村至男くん(現 中村至男制作室)に一緒に応募しようと声をかけられたのがきっかけです。しかし、2年連続で応募したのですが、入選できませんでした。その2回目の落選の年は、ちょうど、友人のアートディレクターである秋山具義くん(現 デイリーフレッシュ株式会社 代表取締役)が「準朝日広告賞」を受賞した年でもありました。彼の作品はとてもパンチのあるビジュアルで、自分も彼のように世の中があっと驚くような新しい表現をするにはどうしたらいいだろう、と考えました。数カ月間悩んだ結果、私は、これまで応募作品づくりに、普段の仕事とは違う考え方で取り組んでいた、ということに気付いたのです。
当時、私はソニー・ミュージックコミュニケーションズという会社でアートディレクターとして働いていて、CDジャケットのデザインを手がけていました。CDジャケットのデザインをするときは、音楽と1つになったと感じられるまで、何度も繰り返し聴いて、ミュージシャンも楽曲も心から好きになります。そして、メロディや歌詞、歌声からミュージシャンが届けたい思いや、誰に届けたいと思っているかなど想像しながら、ビジュアルを考えていきます。楽曲の中に込めたミュージシャンの思いを、1枚ずつ殻をめくるように探し出すのです。
朝日広告賞に応募する作品も、ミュージシャンを好きになるのと同じように、課題の商品のいいところを見つけて好きになり、そこから表現を考えることにしました。
選んだ課題は「サントリーオールド」。まずはサントリーオールドをあらゆる角度から見つめ、自分との接点を書き出していきました。お酒というキーワードから思い出したことは、父親の背中です。私にとって「ウイスキーを呑む大人の男性」とは、大好きな父親でした。そんな父親のことを思い浮かべながら作ったものが、準グランプリを受賞した作品です。
朝日広告賞に最初に応募したときは、私は周りにいる才気あふれるクリエーターに憧れ、自分とは違う別の「何か」になろうとしていたのだと思います。しかし、必死に背伸びをして作った作品は、評価されませんでした。あるがままの自分を受け入れたことで、入賞を手にすることができたのです。
アートディレクターとして賞を受賞したのは、後にも先にも朝日広告賞だけです。受賞の知らせが届いたときは、本当にうれしかった。やればできると希望が持てるようになりました。朝日広告賞は、同年代のクリエーターと切磋琢磨できる機会の1つだと思います。自分の力を試すこともできました。
私は、チャンスが訪れたとき、次があるとは思ったりせずに全力で取り組みます。一瞬一瞬を大切に生きていく――そんな自分の性格が、今作り手として生きる私に良い影響を与え続けているのだと信じています。
なにかを生み出すことは、決して簡単なことではありません。自分らしい表現が見つからず、もがくことだってあります。けれども、そうやって苦しんだ経験は、自分の血となり肉となる。決して無駄にならないと思っています。
映像の仕事をするようになったのは、大切な友人から結婚式の様子を映像で撮影してほしいと頼まれたことがきっかけです。映像と正面から向き合ったのは、その時が初めてで、喜びと不安が入り交じった思いを胸に、夢中で制作に取り組みました。試行錯誤の末に完成したそれを贈ったとき、友人が見せてくれた笑顔を、私は今でも鮮明に覚えています。自分の作品で誰かを喜ばせることができる。その時の私は、それが何よりもうれしかった。
その後、CDジャケットの仕事の現場でミュージシャンに、ミュージックビデオも一緒に撮ることを提案しました。それが映像ディレクターとしての始まりです。
映像ディレクターとして仕事をするようになった私に、新たなチャンスが訪れました。それは「キリンラガービール」のコンペに提出するためのビデオコンテを作る仕事です。当時、アサツーディ・ケイのキリンビール担当だった春日均さん(現 株式会社アサツー ディ・ケイ 執行役員)が、僕の作った平井堅さんのミュージックビデオを偶然見て、連絡をくれたのがきっかけでした。さらに、コンペが通った後、「本番のCMも撮らないか」とクリエイティブディレクター・コピーライターの秋山晶さん(現 株式会社ライトホールディングス 代表取締役 CEO)が私を抜擢してくれたのです。その一言のおかげで、広告の世界に入っていきました。
人の心を突き動かすような作品を作り出す素質や感性は、誰もが持っているものです。ただ、大人になると傷つかないように、感情にブレーキをかけてしまう。悲しかったり悔しかったりしても、平気な顔をしてやり過ごそうとする。私は、常に自分の心の声に耳を傾けるようにしています。自分が今、何を感じているのか、素直に見つめてみるのです。柔らかい心で、どんなことにも興味を持って好きになる。それが、自分にしかできない表現を生み出す原動力になっています。
繊細でいろんなことに敏感でありながら、肝は据わっている人。ハートの強さはすごく大事です。繊細だからこそ表現できること も多いのですが、繊細すぎると折れてしまう。たとえ思い通りにならなくても、それを挫折だと思わない。自分で受け止めて次に 生かす。そんな強さが必要です。
朝日広告賞のいいところは、表現だけで勝負できるところ。所属先や仕事の経歴など関係なく誰でも応募できる上、権威もある。同世代の仲間がそれぞれ応募していて、みんな本気で一番を狙っていました。そんな朝日広告賞が今でも続いていることは、本当に素晴らしいことです。朝日広告賞のニュースが新聞に掲載されると、自分の思い出とも重なり「またそういう季節が来たんだな」と感慨深いです。