副田高行

朝日広告賞受賞者の、受賞の頃のエピソードから現在の活躍まで紹介する『Now&Then』。第9回は、第23回で入選、第25回で朝日広告賞グランプリを受賞した、アートディレクターの副田高行さん。「シャープAQUOSシリーズ」「トヨタエコプロジェクト・ReBORNキャンペーン」など、広告業界のメインストリームで40年以上活躍、現在は朝日広告賞の審査委員も務める。そんな副田さんの原点は、朝日広告賞に挑戦したことだったという。

副田高行
副田 高行(そえだ たかゆき) 1950年福岡県生まれ。東京育ち。68年、東京都立工芸高校デザイン科卒。スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て、副田デザイン制作所設立。主な仕事に、トヨタ「ECOPROJECT」「ReBORN」、サントリー「ウイスキー飲もう気分」、シャープ「AQUOS」、高橋酒造「しろ」、ANA「ニューヨークへ、行こう」、earth music&ecologyなど。

グラフィックデザイナーは華やかな職業だと思っていた。しかし、社会人1年目、私が直面した事実は違っていた

画像:2001年 ANA 企業広告
2001年 ANA 企業広告

子どもの頃から絵を描くことが好きでした。勉強は嫌いで、家庭も決して裕福ではなかった。だから、大学に進学するという選択肢はなく、中学生の頃から高校を卒業したら就職するだろうと思っていました。そのためには、商業高校や工業高校に進学するべきなのかな、と考えていたとき、東京都立工芸高校に「デザイン科」があることを知りました。

デザインという言葉は今ほど世の中に浸透していませんでしたが、なんだか自分の好きなことに近そうな気がして引っかかったんです。後から聞いた話によると、私が入学する数年前までは「デザイン科」ではなく「図案科」だったそうです。もし図案科だったら、入学試験を受けなかったと思います。私は団塊の世代で、子どもの数も多かった。都立工芸高校デザイン科の倍率は、当時の最高倍率で5倍くらい。その難関を運良く突破して、入学することができました。

高校時代は、ロゴデザインの課題が特に評価されていました。先生が著者として制作していたデザインの教科書に、私のロゴタイプ作品が事例の見本として掲載されたこともあります。それで、先生は私にNHKの就職を紹介してくれました。タイトルロゴや宣伝ポスターなどをつくる部署が募集していたのです。しかし、友たちに感化されていた私は、あっさり断ってしまった。まさしく、若気の至りです。

当時は、横尾忠則さんや和田誠さんがグラフィックデザイナーとして活躍していました。特に横尾さんは映画に出演していたり、高倉健さんと深夜番組で対談していたり、メディアでも注目される存在でした。それを見て私は、グラフィックデザイナーは華やかな職業なんだと思っていました。しかし、私が直面したデザインの仕事は真逆。派手な仕事は1つもありませんでした。

高校卒業後、小さなデザイン事務所に就職しました。ライトパブリシティや日本デザインセンターは憧れの存在でしたが、両社ともに私が就職する年に高卒の採用はなく、残念ながら応募すらできませんでした。

最初に就職したデザイン事務所はカタログなどの制作を手がけていて、私は毎日、写植の指定などの下働きをしていました。新人なのでアシスタントとして働くことは当然です。しかし、当時の私は、黙々と作業する地味な仕事が耐えられなかった。生意気にも「横尾忠則とかけ離れている、このままじゃいけない」と1年もたたないうちに辞めてしまいました。それから2年ほどデザイン会社を転々としながら、さまよっていました。

広告の仕事が向いているか、腕試しに朝日広告賞に1人で挑戦した。そこから全てが始まった

画像:サントリービール ナマ樽 1981年 ADC賞受賞
サントリービール ナマ樽 1981年 ADC賞受賞

20歳のとき、サッポロビールの新聞広告を見て衝撃を受けました。その広告は、俳優の三船敏郎さんがビールを飲んでいる横顔の写真に、「男は黙ってサッポロビール」という筆文字のコピーのみ。シンプルだけど、強烈なインパクトがありました。アートディレクションは細谷巌さん、コピーは秋山晶さんが手がけた広告の名作です。それをリアルタイムで見た私は、自分も広告の仕事がしたいと思うようになりました。

ただ、これまで広告の仕事を手がけたことがなく、自分に向いているのか分からなかった。そこで、誰でも応募できる朝日広告賞の一般公募の部に挑戦して、腕試しをしてみることにしたんです。クライアントは日本コカ・コーラを選び、コピーからデザインまで1人で手がけました。その作品が、なんと入選したんです。それが自信となり、広告代理店に転職することを決めました。そのとき、ちょうど募集していたのが、スタンダード通信社でした。

受付に行ったら、募集は若干名なのに、200人から300人くらい集まっていました。それを見て、無理かもしれないと弱気になりましたが、なんとか最終面接までこぎつけることができました。朝日広告賞で入選した作品を通じて、「やる気」や「熱意」を伝えることができたからだと思っています。最終面接は、副社長が面接官でした。この人に何を伝えたら自分を認めてもらえるか。その場でふと思いつき、「私は名優だけど舞台がない。舞台はこの会社です」と勇気を出して言いました。そのとき、副社長の目が一瞬キラッと光ったような気がして、手応えを感じたのを覚えています。

しかし、スタンダード通信社で働き始めて、すぐに壁にぶつかりました。任されるのはマイナーな仕事ばかりだったからです。自分の評価を上げるためにも、再び朝日広告賞に挑戦することにしました。

朝日広告賞のグランプリを受賞したことで、サン・アドに入社。広告業界のメインストリームで本領発揮

画像:1976年 第25回 朝日広告賞 グランプリ受賞作品
1976年 第25回 朝日広告賞 グランプリ受賞作品

まず取り組んだことは、過去の受賞作品の分析です。見返してみると、その当時、選出されている作品の多くには、社会的なメッセージが含まれていることに気付きました。

そこで、私が選んだテーマは流通の問題。その頃、有吉佐和子さんが『複合汚染』という小説を新聞で連載していて、流通の問題も取り上げていたんです。そこで、流通について自分なりに調べてみることにしました。

そのとき、カゴメのトマトジュースは店で売られているトマトよりも栄養価が高いことを知り、とても驚きました。その背景にあったのが流通の問題。スーパーや八百屋で売られるトマトは流通の都合に合わせて、青いうちに収穫していたのです。その一方で、トマトジュースはしっかり完熟させてからすぐ缶づめするため、栄養価が高いという。この事実は、社会性がありメッセージとして伝えられると思いました。

出品した作品は、スタンダード通信社の同僚コピーライターと一緒に作りました。当時主流だった10段広告で、3点シリーズ。シリーズだけど、あえてフォーマットを変え、違う見え方にしています。デザインだけでなく、切り口も変えたほうが新鮮に感じられると思い、トマトをテーマにしながら、それぞれ内容は違います。「真っ赤な真実。」というセンセーショナルなキャッチコピーは、私が考えたものです。

この作品が朝日広告賞のグランプリを受賞し、私の人生は大きく転換しました。まず、作品が業界誌で取り上げられ、コマーシャルフォトでは6ページほどの私の特集記事となりました。それをコピーライターの仲畑貴志さんや高校の先輩でもある小西啓介さんが読んでくれていた。そして、仲畑さんから会社に電話がかかってきたんです。それだけでも大騒ぎだったのですが、仲畑さんは私と直接会う機会も作ってくれました。

小西さんは日本デザインセンターからサン・アドに移り、小西チームに欠員が出たときに私に声をかけてくれました。それで、サン・アドに入社することができたんです。すると、当時、サン・アドにいた仲畑さんは、いきなり私にサントリーナマ樽の新聞広告のデザインを任せてくれました。それが、ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞を受賞。1981年、そのとき私は31歳でした。それから今まで、おかげさまで仕事が途絶えることなく続いています。その起点が朝日広告賞であることに間違いありません。

デザイナーではなく広告マン。いい広告を作るために、新しいものを追い求める

画像:2016年 - 2017年 高橋酒造 白岳しろ
2016年 - 2017年 高橋酒造 白岳しろ

初めてADC賞を受賞してから、ずっと新聞広告をメインに作り続けています。これほど長く新聞広告を作り続けているアートディレクターは、きっと私しかいないはずです。そこで来春(4月〜6月)、横浜にある新聞博物館で、新聞広告だけの展覧会を開催することになりました。約40年分の新聞広告を100点ほどセレクトして、50点ずつ入れ替えて展示する予定です。

広告は時代の映し鏡みたいな存在です。デザインやコピーなどの表現から時代性を感じたり、印刷技術の変遷も追ったりすることができると思います。新聞広告だけではなく、広告作りの裏話も含めた解説も一緒に展示する予定です。かつて「男は黙ってサッポロビール」の広告を見て刺激を受けたように、一枚の新聞広告のパワーを伝えていくことも、私の役目だと思っています。沢山の人に見てほしいです。

画像:横浜ベイクォーター 2016年 神奈川新聞広告賞 グランプリ受賞
横浜ベイクォーター 2016年 神奈川新聞広告賞 グランプリ受賞

そもそも、私は自分のことをデザイナーだとは思っていないんです。あくまでも広告マン。企業やブランドの伝えるべき着眼点を探し出し、言葉とデザインを掛け合わせて表現していくのが仕事だと思っています。そこに自我はなく、あるのは「ちゃんと届く広告を作りたい」という思いだけなんです。

戦後の貧しい時代を知っているので、ハングリー精神も強い。それが、常に新しいものを追い求める原動力にもなっているのかも知れません。

Q&A

Q    デザイナーにアドバイスをお願いします。

まずは「隣の人を感心させること」。隣の同僚や身近な人の信頼を得ていけば、その輪は確実に広がっていくものです。そして、「一緒に仕事をしたい」と言ってくれる人が増えてくれば、課長や部長など上司にも評判が伝わり、大きな仕事を任されるチャンスにつながります。私の場合は、朝日広告賞のグランプリを受賞したことで、スタンダード通信社での私の評価は一気に上がりました。仕事のスケールも大きくなりました。会社やクライアント、予算などのせいにしていたら、いつまでたっても成長できません。

Q   朝日広告賞とは。

私の出発点であり原点です。デザインの仕事を始めたものの、どの会社も長続きせず、茨の道で右往左往していました。そんなとき、私が目指すべき道を照らしてくれたのが朝日広告賞でした。グランプリを受賞したことで、サン・アドに入社することができて、コピーライターの仲畑貴志さんにも出会えた。そして、サントリーやシャープなど大手企業の仕事も任せてもらえるようになり、独立することもできた。あのとき朝日広告賞に挑戦していなかったら、今の私はないと思います。

Message for young creators

朝日広告賞は、自分の道を切り開くチャンスの場!―― 「一般公募の部」は、自分の名前や作品を世の中に知らしめる、チャンスの場です。広告賞の意義は、新たな才能の発掘です。私は審査をする立場になりましたが、朝日広告賞の重みを誰よりも実感しています。だからこそ真剣に選ばなければいけないと思っています。広告は、時代を映す鏡のような存在です。豊かな時代に生まれた若い人たちだからこそ、表現できることもある。高度経済成長で失った日本独自の文化や価値観、美意識を取り戻すためにも、若い世代にぜひ広告の世界で活躍して欲しいですね。

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