ナガオカケンメイ

朝日広告賞受賞者の、受賞の頃のエピソードから現在の活躍まで紹介する『Now&Then』企画。第1回目は、第38回準グランプリを受賞した「ロングライフデザイン」の発掘・発信を続けるデザイン活動家・ナガオカケンメイさん。47都道府県に1カ所ずつ拠点を作りながら、物販・飲食・出版・観光などを通して47の「個性」と「息の長い、その土地らしいデザイン」を見直し、全国に紹介する活動を行っている。

ナガオカケンメイ
ナガオカケンメイ 1965年北海道生まれ。89年度第38回朝日広告賞準グランプリ受賞。90年に日本デザインセンター入社。同・原デザイン研究所、ドローイングアンドマニュアルを経て、2000年にD&DEPARTMENT PROJECTを設立。国内11、海外(ソウル)1の計12店舗で、自らセレクトした中古家具や日用品の販売、オリジナル商品の企画プロデュース、レストランやカフェ、デザインリサイクルショップを展開。09年にはデザインの視点での観光ガイドブック『d design travel』を創刊。3月に最新号の岐阜号が発売、2月25日(木)〜4月10日(日)まで、東京・渋谷ヒカリエ8階「d47 MUSEUM」にて、岐阜号発売記念展覧会が開催予定。京都造形芸術大学教授。武蔵野美術大学客員教授。

名古屋の喫茶店の店員だった時に応募。コンセプトで勝負した

ナガオカケンメイ
喫茶店時代のナガオカケンメイさん

高校卒業後、名古屋から上京し、広告制作会社に勤めました。22歳でアートディレクターの肩書きをもらい、クライアントの前で話す機会が増えました。ところが、うまく話せない。極度のアガリ症を自覚しました。

このままではまずいと、“リハビリ”のために名古屋に帰り、喫茶店で働き始めました。接客業を通じてアガリ症を克服しようと思ったわけです。早々に厨房に回されたというオチがあるのですが(笑)。

ある日、お客がまったく来ず、店に置いてあった新聞を手に取りました。目に留まったのが、朝日広告賞の募集記事。締め切り直前だと気づき、すぐに画材を買って制作にとりかかりました。実はそれまで、同賞の存在を知りませんでした。調べると、デザイン賞などに比べてコピーをしっかり評価する賞らしい。

ヤマト運輸の課題に決めた時点で、自分の中でおおむねコピーはできていましたが、コピーライターとデザイナーの住み分けが明快な時代だったこともあり、帰郷前まで勤めていた岩永事務所で当時コピーライターをしていた百武清隆さんを誘いました。百武さんは、僕が考えたコピーをほぼ生かし、細部を詰めてくれました。

80年代の広告は、企業にとってもグラフィックデザイナーにとってもB倍(B0版)の駅貼りポスターが花形で、「自社がいちばん、自社商品がいちばん」というアプローチが目立ちました。そうした手法への違和感から、「新聞の特性を生かしてコンセプトで勝負する」との思いで応募作を作った覚えがあります。「新聞をこんなふうに使っちゃっていいの?」という驚きの先に、既存の広告を超えたスカ ッとした何かがあるのではないかと。

準朝日広告賞受賞の知らせが来た時は、本当に驚きました。たまたま僕の誕生日で、思わぬプレゼントでした(笑)。そして、この受賞が僕の人生を変えました。贈呈式に出席するために上京したその日に、大きな出会いがあったのです。

あこがれの日本デザインセンターに入社。 デザイナーとしての限界に気づく

ナガオカケンメイ
第38回朝日広告賞準グランプリ受賞作品

僕は、中学の頃からデザイン誌『アイデア』を愛読し、田中一光さん、永井一正さんなど、活躍するグラフィックデザイナーのプロフィルにたびたび登場する日本デザインセンター(以下NDC)に強いあこがれを持っていました。百武さんにその話をしたら、「仕事の先輩の知り合いがNDCにいるので紹介してあげるよ」と言ってくれたのです。百武さんの先輩が原田宗典さん、原田さんの知り合いが、NDCに勤める原研哉さんでした。

デザインの現場から離れていた僕は、世に出た制作物がほとんどなく、手描きのスケッチをポートフォリオに入れて持参しました。初めは原田さんを原さんだと思って、原田さんにばかり見せていたら、原さんが「僕にも見せてよ」って(笑)。銀座の喫茶店で会ったのですが、原さんから「今からNDCに行こう。永井(一正)さんに紹介するよ」と言われ、あっという間に、永井さんから「いつから来られるのかな?」という流れになっていた。あの時はお金がなかったので、東京には泊まらず夜行バスで帰り、1週間後、NDCに入社しました。

NDCの新入社員は、デザイナーにはカッターやペーパーセメントなどのデザインセット、コピーライターにはワープロが支給されることになっていました。僕はデザイナーとして入りましたが、デザインセットよりもワープロがほしかった。もともと『ADC年鑑』より『TCCコピー年鑑』を愛読していたデザイナーで、コピーワークが好きだったんです。

ようやくワープロを手にできたのは、原さんが社内に原デザイン研究所を作った時。以後、原さんがやりたいことを企画書やコピーにまとめる仕事がメインになっていきました。竹尾ペーパーショウの展示会企画や、『デザインの現場』の連載企画など、仕事の領域は幅広く、こういうことを生業にしたいと思うようになりました。

別の言い方をすれば、自分にはデザイナーの才能がないと見切りをつけたんです。原さんをはじめ、才能あるグラフィックデザイナーたちの仕事を目の当たりにして、こりゃあ太刀打ちできないなぁと(笑)。

そんなある日、『FP』というデザイン誌を読んでいたら、「デザインプランナー:桐山登士樹」という文字を見つけました。「デザインプランナーという肩書きがあるのか。自分もデザイナーじゃなく、デザインプランナーだ」と思った僕は、桐山さんに会いに行きました。そして、桐山さんの話を聞いてその思いを強め、NDCを辞めて独立しました。やることの範囲が広がった今は、デザイン活動家という肩書きを使うことが多いですが。

「ロングライフデザイン」をテーマとする D&DEPARTMENT PROJECTを始動

ナガオカケンメイ
D&DEPARTMENT TOYAMA

D&DEPARTMENT PROJECTは、「ロングライフデザイン」をテーマとするストアスタイルの活動体です。全国での店舗展開の他、日本のメーカー商品の復刻、リブランディング、再販売をする「60VISION(ロクマル・ビジョン)」や、日本の地域産業や伝統工芸品の展覧会、オリジナル商品開発を行う「NIPPON VISION」などの活動も進めています。

その根幹には、「作らないデザイン」のマーケットを開拓したいという思いがあります。常に新しいデザインを生み、新製品を発売し続ける高度経済成長期の価値観から脱却し、普遍的で長く使え、環境や地域の営みと調和するデザインを追究していく。作り手にとっても使い手にとってもそのデザインが継続する仕組みを創り出していく。そうした発想で活動しています。

ナガオカケンメイ
デザイン観光ガイド『d design travel』

『d design travel』というデザイン観光ガイドも発行しています。1冊につき1県を特集、47都道府県を網羅する計画で、これまでに17冊発刊しています。誌面づくりにおいては、グラフィックデザイン的なこだわり以上に、「わかりやすさ」「感動」「本音」「ありのまま」「公共性」といったことを重視しています。

改めて振り返ると、朝日広告賞に応募した作品も、グラフィックデザイン的な新しさは狙っていませんでした。長年活動してきてわかってきたことですが、例えばロングセラーと言われる商品は、意外にデザイナーがデザインしていないんです。文化人がなじみのブランドのためにさっと筆書きしたロゴだったり、商品の魅力を誰よりもわかっている社長が考えた形だったり。もっと極端な話をすれば、デザインの「デ」の字も感じられない店でも、置いてある商品が「本物」なら、客が途絶えない。

こうしたことに、大きな意味で「伝わるメッセージ」のヒントが含まれている気がします。広告制作、とりわけ新聞広告のクリエーティブにおいては、共有できるものがあるのではないでしょうか。

Q&A

Q 現職(デザイン活動家)のだいご味とは。
近頃、「地方に元気がない」という世論が目立ちますが、決してそんなことはありません。都市部にも地方にも実店舗を持ち、ネットワークを築いている僕たちなら、実態を伝えるお手伝いができる。生活者、企業、地域の職人などをさまざまな場でつなぎ、ロングライフデザインの価値を広めることができる。そのお膳立てや場づくりにだいご味を感じます。
Q デザイナーに必要な資質とは。
自分を客観的に判断する能力だと思います。陶芸家で例えると、一人で黙々と創作を極めるタイプなのか、産地やマーケットを背負って活動するタイプなのか。双方を行ったり来たりというのは案外難しく、それができる原さんのような人はまれです。デザイナーとして才能があっても、生活者として失格という人や、産地に無理難題を押し付けて迷惑をかける人をずいぶん見てきたので、才能のある人ほどデザインに専念したほうがいいというのが僕の考えです。
Q 朝日広告賞とは。
自分の原点です。NDCに入れたのも、「デザイナーとしてでなく、デザイン活動家としてなら、自分の得意なことを生かせる」と気づけたのも、そもそものきっかけは、朝日広告賞です。応募した作品の制作スタンスと、現在のスタンスがまったくズレていないことを改めて実感しています。

Message for young creators

テクニックに走るな!―― 実は、準朝日広告賞を受賞後も何度か朝日広告賞に応募したのですが、ことごとくダメでした。その失敗を分析してみると、テクニックに走っていたなと思います。審査委員の方々はプロ中のプロですから、「テクニックはあるが、テクニックしかない」ということは、たちまち見抜かれる。朝日広告賞に応募するなら、生活者としての視点や、ピュアなドキドキ感、「これを伝えたい!」という情熱を大切にしてほしいですね。

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