時田侑季さん × タナカノリユキさん

2015年10月6日、第2回目となる朝日広告賞審査委員と受賞者のトークライブ(AAA Talk)が、東京・八王子の東京造形大学で開催されました。東京とは思えないほどの豊かな緑に囲まれたこのキャンパスは、朝日広告賞受賞者である時田侑季さんの、かつての学び場でもありました。そのような背景もあってか、審査委員のひとり、タナカノリユキさんと、時田侑季さんのお話は、自然と当時の話から始まりました。

浅葉克己
タナカノリユキさん(クリエーティブディレクター) グラフィックから映像、環境デザインまで様々な表現メディアを駆使したデザインワークを展開し国際的にも注目を浴びるビジュアル・クリエーター。
時田侑季さん
時田侑季さん(アートディレクター) フリーランスのデザイナーとして活動後、2008年株式会社Imaginarium(イマジナリウム)を設立、代表取締役。アートディレクター。デザイナー。

表現することの意味について悩み続けた大学時代

時田さんの大学時代について尋ねるタナカさん
時田さんの大学時代について質問をするタナカさん

ーー 時田さんは、ここ東京造形大学で学ばれたとうかがいましたが、その辺りも含め、自己紹介をお願いできますか。

時田:都内で小さなデザイン会社を経営しております、時田侑季です。こちらの大学で学んでいたことは、実は秘密にして欲しかったのですが(笑い)、4年程でドロップアウトしており、卒業していません。今日、トークライブに来るときも、自分はこの大学の敷地内に足を踏み入れていいものか、ものすごく悩みました(笑い)。

タナカ:ドロップアウトというところを(笑い)、ぜひ、詳しく聞いてみたいですね。

時田:2年から3年へと上がるときに2回留年し、最終的に中退しています。

大学時代、私の周りは、画家、作家、音楽家など、いわゆる「アーティスト」と呼ばれる人たちであふれていました。そして、私は彼らを見つめ日々を送っていく中で、表現とは「普通とは相いれない、思想や価値観などを抱き生きていく人」のみに許された行為なのだと感じるようになりました。

しかし、表現者になることを志しているはずの私には、そういった、社会には受け入れられがたい、自分の中に抑えこむこともできない、吐き出さずにはいられない“何か”などなかったのです。表現者として生きていくことに憧れを抱き続けていた私にとって、そのことは、目の前に立ちふさがる、越えることのできない壁のように思えました。

大学を辞めた理由は、全てをゼロにしたかったのだと思います。一度、全てをリセットして、表現の世界から完全に離れてみたかった。

タナカ:ずっと聞いていたくなるほど面白い話ですね。しかしそうすると、今日の趣旨からは外れてしまいますよね。

ーー そうですね(笑い)。それでは、タナカノリユキさんも、自己紹介をお願いできますか。

タナカ:朝日広告賞で審査委員をしています、タナカノリユキです。肩書きとしては、クリエーティブディレクター、アートディレクター、そして、映像ディレクター、といったところでしょうか。僕は、東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業し、その後に進んだ大学院の在学中に公募展で大きな賞をいくつか受賞し、その受賞がきっかけで独立して今に至っています。

僕が藝大にいた80年代は、在学中に大きな公募展で賞をとって、組織に属することなくプロデビューすることを希望する学生が多かったように思います。そして、当時の僕もそのような学生のひとりでした。広告の世界に足を踏み入れたのは30代後半からと、比較的遅いスタートでした。

90年代後半に、海外のエージェンシーからオファーされた、“NIKE”のクリエーティブコンペに参加したのがきっかけでした。“NIKE”というブランドでなら、既存の「広告」という枠にとらわれることなく、自分のクリエーティビティーが発揮できるのではないかと考えた。だから、コンペに参加したのだと思います。

既成の枠に収まっていない表現が面白かったのか、最終的に、僕が手掛けた作品が採用となったんです。その結果、国内外で賞をもらい、他の企業からも仕事の依頼が舞い込むようになりました。

朝日広告賞では、優等生的なバランスの良い広告が最高ではない

ーー では時田さん、朝日広告賞に作品を応募された経緯を教えてください。

時田:私は、筋金入りの無精者で、これまで何かの賞に応募しようと思っても、気がついたら締め切りが過ぎてしまっているということが多かったんです。だから朝日広告賞も、作品を応募できただけで満足していたところがありました。それだけに受賞の知らせをいただいたときは、青天の霹靂(へきれき)とでも申しましょうか、本当に腰を抜かしそうなほど驚きました。

入賞作品に使った写真は、私の友人であるフォトグラファーから譲り受けたもので、気に入っていたものの、何年も使う機会に恵まれず、引き出しの奥に眠らせていたものです。昨年、私は朝日広告賞の募集広告を偶然目にし、新聞の一面にこの写真が掲載されたら面白いのではないか、とふと思いつきました。そして自分の作りたいものを、心のままに表現したのがこの作品です。

ーー それではタナカさん、審査会はどんな様子だったのでしょう。

タナカ:はじめに、朝日広告賞の説明を簡単にすると、この賞はクリエーターを対象とした<一般公募>と広告主を対象とした<広告主参加>に分かれています。今日、この会場に集まっていただいているみなさんが朝日広告賞に応募するなら<一般公募>ですが、この賞でグランプリをとることは、実はとても難しいのです。僕が大学時代応募していたとして、果たして受賞できただろうかと思います。

僕らの同期が応募していた頃は、朝日広告賞を受賞したとなると、所属している会社では一人前のクリエーターとして、認めてもらえるようになったと思います。だからこそ、プロになりたてのクリエーターなどは、誰もが競ってこの賞をとりたがったものです。それほどの賞だけあってか、今、僕が審査委員をしていて思うことは、応募作品の完成度がどれも非常に高いということ。プロがつくった広告として、世に出回っていても何ら不思議ではないと思えるほどです。

しかしその一方で、朝日広告賞<一般公募>の受賞作品が、優等生的な、ただバランスが良いだけの広告であっていいのか、これまでの既成概念を覆すような大胆な作品であっていいのではないか、といった見方や意見が、審査委員の間では出ています。そして、そんな壁を壊したがっている審査委員にとって、時田さんの作品はまさに「求められていたもの」だったのです。

ただ、全ての審査委員の賛同を得られた訳ではなかった。この、不思議な広告を、懐疑的な目で見る審査委員も何人かいました。

時田:そのようなお話を聞くと、タナカさんの審査委員としての評価はどのようなものだったのか、気になります(笑い)。

タナカ:僕は、時田さんのアートディレクターという肩書きに着目しました。「目に見えるものだけが、世界のすべてではない。」というコピーと、この奇妙な、見れば見る程、謎が深まっていくようなこの写真を組み合わせた、アートディレクターとしての力量は素晴らしいと思いました。

時田さんの肩書きがカメラマンだったら、また評価は違ったものになっていたと思います。なぜなら今の時代、作り手の考えを見る側に届ける技術、表現技法はどんどん進んできている。一見分かりにくいことも、映像化され、CG表現で露わになったり、編集され、文字やイラストなどを添える処理を行うことで、実に明瞭なものへと姿を変える。それがむしろ当たり前になった現代において、「言葉にならないもの」を広告に持ち込むことの大胆さは、すごく評価できると思います。

時田:まさに、私がこの作品で伝えたかったことの本質を見抜いていただいてとてもうれしいです。ありがとうございます。

自分の好きなものを作り続けられる、プロであるということ

ーー 時田さん、では最後に、受賞された後の変化や、今後について話していただけますか。

時田:賞を受賞したことで、目に見えるかたちでの大きな変化というものはなかったのですが、この作品は、本当に自分の感性のみで作りあげたので、それを朝日広告賞のような権威ある場で評価していただいたということは、大きな自信へとつながりました。

タナカ:実はここに来る前、時田さんが運営されている会社のホームページなどを見せていただいたのですが、僕がとてもいいなと思ったのは、そこから「この人は自分の好きなものを納得して作っている」という事実が伝わってくるということ。

そうあり続けるには、「誰と出会うか」ということがとても重要になってくると思うんです。自分が魅力的だと思える人と出会い、また、クライアントでも臆することなく自分の意見を口に出来て、その人に対する愛情であったり、また、自分の作り手としての信念や、それらのものを全てうまく組み合わせることができて、はじめて自分のしたいものづくりができる。

僕は、時田さんのそういった仕事への姿勢が、今回の朝日広告賞の受賞にもつながったのではないかと思っています。

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